中咽頭・下咽頭・声門・食道・直腸がん-60代 男性

5ヵ所の癌が発覚して落ち込むのではなく、病気のことを勉強された吉松様。
そして低分子化フコイダンを活用した“統合医療”に出合われました。
病院からはステージ4で喉頭全摘を提案されましたが、ご自身の意志で化学放射線治療を選択されました。
現在はすべての治療を終えられ、お仕事にも復帰されています。

2022年10月 5つの癌が同時に発覚

2022年の10月に扁桃腺ではなくリンパ節が腫れているような症状があり、歯医者さんに行きました。
以前にも虫歯でリンパ節が腫れたことがあったので、あまり気にしていなかったのですが、歯医者さんでは「これは虫歯ではないから、耳鼻科へ」と言われ、耳鼻科を受診しました。

耳鼻科で内視鏡検査をしたら中咽頭に何かがあり、色もよくないので総合病院に紹介状を書いてもらいました。
CT・PET・エコー・内視鏡検査をし、中咽頭がん下咽頭がん声門がん食道がん直腸がんと5ヵ所一緒に見つかっちゃったんです。
それぞれ転移ではなく、DNAがみんな別だったので全部原発でした。
主治医も「2ヵ所いっぺんに癌が見つかるということはあるんだけど、5ヵ所もいっぺんに見つかって、しかもそれが全て単独というのもまた珍しい。非常に珍しいケースだ。」と驚いていました。

私はショックを通り越していました。

低分子化フコイダン、吉田年宏先生との出会いと治療方針決定まで

診断は中・下咽頭がんステージ4、左声門がんステージ1、早期食道がん、直腸がんステージ3でした。
当時の主治医はとても事務的で具体的な説明もほとんどせず、「喉頭がん(中咽頭・下咽頭・声門がんをまとめて)がすでにステージ4だから、まずは直腸がんを腹腔鏡手術で切除してから喉頭全摘出でいきます。」と言われました。
私に「どうされますか?」とかの話も何もなかったです。

「ちょっと待ってください。」と。
最近は喉頭を温存する医療が主であることもお伝えし、「最初は化学放射線治療でいきます。それでだめなら手術をお願いします。」と伝えました。治療方針に従わなかったことにビックリしたような顔をして「年齢も年齢だし、抗がん剤治療や放射線治療は精神的にも肉体的にもきついですよ。」と言われましたが、私の腹はすでに決まっていました。

低分子化フコイダンと出合ったのもこの頃です。
妻ともよく話し合って、11月2日から飲用を始めました。

そして、11月8日に吉田年宏先生と第1回目の相談をしました。
その時に主治医とのやり取りも話しました。
すると吉田先生は「自分で考えて言ったの?それは正解ですよ。」と言われました。
それが吉田先生との最初のお話しでした。
そして、吉田先生からは「直腸がんの手術はあとに回して、ステージ4の咽頭がんの治療を優先した方が良い。最初の抗がん剤治療をする時に低分子化フコイダンを飲んで、とにかく徹底的に叩くんだよ。これで直腸がんも小さくなる可能性がある。」とおっしゃったんです。

吉田先生に「主治医に言えますか?」と言われ、一瞬ためらいはありました。
主治医と吉田先生の考え方は全く違うわけで、でも、フコイダンの勉強をしていれば吉田先生の言う通りだよね。と思いました。
自分のことなんだけど、この判断を間違ったらどうなるんだろうと思いますよね。
一瞬迷いました。本当に一瞬でした。
だけど私は、吉田先生を信じるしかないと思い、「言います。」と答えました。
最終的にやっぱり吉田先生を信じて、先生の言った通りにして良かったなと思います。

翌日、主治医に今後の治療計画を聞きに行きました。
吉田先生が言った内容を伝えたところ、主治医からは咽頭がんの治療を優先して直腸がんの治療を先延ばした場合のリスクを説明されました。
私は「そうなったら自己責任ですので、よろしくお願いします。」と。
もちろん妻も続くだろうと思っていたら、主治医の言葉にビビッてしまい「今日決めないといけないんですか?」と言ってしまいました。
その日は結論を出さずに次回持ち越しになり、私の計画が脆くも崩れてしまった瞬間でした(笑)

低分子化フコイダンは1日100ml飲用していましたが、吉田先生のアドバイスで1日200mlに増やしました。
嫁さんも「お金の問題じゃないよ。あなたが色々調べてこれでいくって決めたんだったらいいじゃない。」という理解を示してくれました。

咽頭がんの方は2ヵ所の頸部リンパ節に転移していました。
1ヵ所が6cmで、もう1ヵ所が2cmでしたが、低分子化フコイダンの飲用量を200mlに変えて2週間くらいしたら、2cmの方が消えちゃったんです。これに関しては、医者は説明しきらんかったです。
「え?ないですね。」みたいな感じで。
まだ何も治療をしていないわけでしょ、放射線治療も何もしていない状況で消えたので。

ただ一人、フコイダンに理解を示してくれていたのが薬剤師の方でした。
「吉松さん、それは当たり前ですよ。私もフコイダンを勉強しました。今あるサプリの中では最高だと思います。この2週間の間に吉松さんの免疫力がぐんっと上がって、2cmの方が消えたんだと思います。」と言っていました。

取材に協力いただいた吉松様
経験された困難、その時の心情を事細かく、分かりやすく語って下さいました。

壮絶ながんとの闘い

11月18日に入院し、まずは胃ろうの造設手術を受けました。
そして化学放射線治療が始まりました。

入院した次の日に胃ろうの処置をして、そこで主治医とフコイダンの話になりました。
主治医にはフコイダンの飲用を強く反対されましたが、これまで勉強してきたフコイダンの知識をお話ししました。
主治医と口論の末、「もしこれを飲んで、便秘になったら即止めてもらいますからね。手術ができなくなるから。絶対に止めてもらいます。」と言われました。
その日それだけ口論したのに、次の日に謝罪に来たんです。
薬剤師に聞いたらしいです。
「全然(便秘のような)副作用はないです。」と聞いて、「吉松さん、私の思い込みだった。便秘が無いらしいので、引き続き飲んでいいですよ。」ということでした。

初めは低分子化フコイダンも飲用していましたが、放射線が始まったら、だんだんご飯が食べられなくて、飲み込みもきつくなる。
だから胃ろうに切り替わって、あとは胃ろうから低分子化フコイダンを入れていました。
病院では医療行為になるから、看護師の人が胃ろうから入れてくれていました。

抗癌剤はシスプラチンでした。
第1回目のシスプラチン投与を受けた1週間後くらいに難聴になりました。
食欲が低下したのは最初投与された時くらいで、あとは何ともなかったです。
みんな、吐き気とかがするとか言うけれど、それがなかったんです。
あと、放射線治療でだいたい皆さん首の辺りがただれるんです。
それも全然なかった。
脱毛している人もけっこういたけれど、それもなし。

放射線治療はほぼ毎日。月火水木。平日のほとんどで全35回。
入院してちょこっと食欲不振があったのと、下痢とか便秘を繰り返していましたね。
それと骨髄抑制ですね。
シスプラチン2回目の投与の時にガツンと落ちたんです。
その時に白血球も赤血球も数値が落ちちゃって、何か感染を起こしたみたいで高熱が出てしまいました。
その症状が悪化し、無菌室に移動しました。
その時に意識を失ったことが2回くらいあったんです。
完全に失う直前に看護師や先生がバタバタしているのが分かったけど、その後はもう分からなくなった。
最終的には輸血もされました。

とにかく白血球の数値も落ちちゃって、後で考えたら「もし低分子化フコイダンを飲んでいなかったら、あそこでアウトやったな。」と思いましたね。
無菌室でも、高熱の中フラフラしながら、朝起きるたびに「生きてるぞー!」と病室のカメラに向かってガッツポーズを毎日しました。
起きたらまず、「フコイダン、フコイダン!」と。そしてまた寝て。
無菌室から通常病室になんとか1週間で戻りました。
そしたら看護師さんがみんな言うんです。
「吉松さん、よく帰ってきたよ!」と。
「普通あの状態だったら帰ってこれない人が多い。アウトだ、普通は。」ってえらいビックリしていて、「そんなもんなの?」って。
私も初めての体験だから分からない。

治療が続き、ちょうど放射線治療が33回終わった時に熱が出て一番辛い時がありました。
病室に来た主治医が「吉松さん、きついですか?だから言ったでしょう。」と。
治療前に主治医から「年齢も年齢だし。抗がん剤治療や放射線治療は精神的にも肉体的にもきついですよ。」と言われ、私は「頑張ります。」と答えていたので、それは言ってくるだろうなと思っていました。
でも次の「吉松さん、もう治療はこれで止めてもいいんですよ。」という言葉に私は「あと2回でしょ。頑張ってするよ!」と怒ってしまいました。
33回苦しい治療を頑張って、残り2回ですよ。

放射線治療を35回、抗がん剤治療を2回終了した時点で咽頭にあった腫瘍は見た目には消失。食道に関しては放射線による炎症が治まってから内視鏡で評価

退院前に直腸の造影CTを撮ったら、「吉松さん、小さくなっているよ。最初はステージ3って言われていたのがステージ2になっている。」と言われました。
ますます低分子化フコイダンが効いているんだなと思いました。
5.5cmのかなり大きい原発が3.5cmまで縮小していました。

退院後は化学放射線治療を受けた病院ではなく、私の住んでいる地域の病院で直腸がんの治療をするようになりました。
転院した時にもエコー検査と内視鏡で中咽頭と下咽頭を見たんですけど、がんは全部なくなっていました。
「原発は完全に消滅していますよ。」と言われました。
そして、食道がんに関しても炎症が治まってからの内視鏡検査で、「きれいに消えています。」と言っていただけました。

2月20日に吉田先生にこれまでの結果の報告をしました。
「1日200ml飲むのは継続しましょう。」となり、3月2日に電話相談した時に「もうそろそろ100mlに変更しましょう。」となりました。

直腸がんの手術も大成功

直腸がんの手術をしてくれる女医さんとは最初からとても波長が合いました。
私の思っていることや、低分子化フコイダンのことも話して、「私も詳しくはないけど、聞いたことはあります。全然かまわないので飲み続けてください。」と言ってくださいました。

2022年の11月、大腸検査をした時に5ヵ所見つかりました。
原発の一番大きいやつと、一番奥にあった3個は小さなポリープ、肛門に一番近いところには2.2cmの、こんな大きいのはポリープとは言わないのかもしれないけれど腫瘍というかポリープがありました。
(小さな3つのポリープは2022年の大腸検査の際に切除済み)
ポリープ除去は当初2.2cmと言われていた腫瘍が1.7cmまで小さくなっていたので、電気メスではなくて生理食塩水で膨らませて輪っかを付けて切除する負担の少ない方法でできました。
入院も1週間~10日くらいの予定でしたが、結局1日泊まっただけでした。

次に原発の直腸がんの手術ですが、場合によっては肛門まで取らないといけなくなったり、さまざまなリスクの説明を手術前に受けました。
原発を含めて16cm切ったんですが、手術が終わって手術室から出てくる時に目が覚めたんですけど、先生がちょうど私の真上で「うまくいきましたよ!全部取れた!ちっちゃいリンパ節が2個あったけど、それも全部取ったよ!」とすごく喜んでくれて、私も嬉しかった。
結果、優秀な先生のおかげで事前に説明されたリスクは全て回避されました。

術後はオキサリプラチンとカペシタビンの治療を3回受けました。
化学療法は6回とおっしゃっていましたが、手先の痺れ・・・冷たいものが最初はダメで、ちょっときついなと思いつつ、術後の補助化学療法についても調べたり、ベテランの看護師さんに聞いたりしました。
補助化学療法を受けたから絶対再発しないわけでもなく、抗がん剤治療をしなくても5年生存しているという話もあったんです。
看護師さんも「そうですよ。全くしなかったのに生きている人もいるし、きっちり6回受けた人が再発で亡くなっているケースもあるので、ケースバイケースで何とも言えませんよね。これは運じゃないですか。」って。
吉田先生にも「今度3回目の抗がん剤治療を受けるんですけど、止めたいんです。」と相談しました。
そしたら吉田先生は、「できたら続けてほしいけど、あとは主治医との話し合い。相談だね。」と言われました。

一番強力に感じたのは抗がん剤との相乗効果

低分子化フコイダンの効果を一番強力に感じたのは抗がん剤との相乗効果です。

喉頭がんの化学放射線療法が終了した時点で、2cmのリンパ節転移が残っていました。
この段階で「頸部のリンパ節を取る手術をした方がいいんじゃないか。」って言われて、喉頭がんの治療をしてくれた病院に紹介状を出してもらい受診しました。
その時に診てくれた部長先生もすごく好きだったんです。

まず、「吉松さんの場合は、もう1回PET検査をしてみよう。その結果を見て決めましょう。」と言われました。
すると、PET検査では通常はがん細胞がある場所が光りますが、光っていなかったんです。
「ほぼ壊死していると思う。これ以上大きくなることがあったら、また治療を頑張りましょう。これで小さくなるようだったら、ずっと経過観察でいきましょう。」と言われました。

その後も経過は順調で、2023年4月の時点で2cmあったものが半年後の10月の時点で1cmに。
2024年1月のエコー検査でもやっぱり1cmで変わらず。

最初の大きさから考えると、6分の1にまでなったんです。
自分自身も頸部郭清術は必要だと思っていました。
なぜかというと、放射線治療を受けていた時の放射線科の先生が「吉松さんの場合は放射線を当てる範囲が広かったので、頸部郭清術はやらなければならない確率は高いと思いますよ。そう思っておいてください。」と言われていたからです。
だけど、内心では低分子化フコイダンで小さくなるかもしれないと思っていて、それがその通りになったので嬉しかったですね。
全部良かった、本当にラッキーだったと思います。

広い視野で知識を深め、常に前向きに取り組まれた吉松様

病気のことはもちろん、フコイダンのことも勉強し、自分で調べて資料として取っておいた方がいいと思うものは全部プリントアウトしました。
自分のことでもあるし、家族のためになることだから勉強して無駄じゃないだろうと思って、必死にやっていました。

子どもの頃から予習を大切にしてきました。
中学の時の話ですが、野球が好きで野球部に入っていました。
1年生の時に50人入ったのに最後に残ったのは8人という厳しい環境で、私も2年生の時にレギュラーポジションを取らないといけなかったので部活がすごく厳しくなって勉強どころじゃなくなっちゃったんです。
そして1回だけ成績が落ちてしまい、父から「部活をやめろ。」と言われてしまいました。
父と“成績が50番以内だったら部活は続けて良い”という約束でしたが、1回だけ落ちてしまいました。
「勉強もするから、部活を続けさせてくれ。」って泣いて頼んで、その時に考えた方法が予習と睡眠時間の工夫でした。

帰ってきたら部活でクタクタだから、そのまま3時間寝る。
19時くらいから寝て、22時に起きる。そこから1時間の間にお風呂と飯を食べる。
23時頃までバタバタやって、それから勉強を始めて朝の5時まで。
また3時間寝て、睡眠時間は合計6時間。
すると、以前よりも成績が伸びて担任の先生がビックリして「君はどんな勉強をしていたんよ?」って。
「まず、睡眠を分けたことと、予習をしたことです。」って言ったんです。
「そんなんで成績が上がるんか?」って聞かれたので、「僕もよく分かりません。」と(笑)
だから、子どもたちにも「予習をせぇ。」と教えました。
長男の大学を選ぶ時の三者面談でも「吉松君は授業中の集中力がすごい。」って。
予習をすると、自分が理解できないところが分かりますから、授業で先生に質問して理解できるんです。
だから試験前に詰めて勉強することもなかったです。

低分子化フコイダンについても色々と調べていました。
長男に初めて話をした時に、「代替医療じゃないか?」と長男は思ったみたいで。
「代替医療じゃないよ、統合医療だよ。資料を持っていくから、勉強してごらん。」と伝えました。
2~3日してから長男が「お父さんが言っていたのはこれだったんだね、これは良さそうだね。」って言ってくれました。
治療についても予備知識を付けているから、医者とも話ができました。

治療中、もうダメかもと思ったことは1回もなかったですね。
毎日、「生きてるぞ!」みたいな感じで。

同じ病室の方でも吐いてしまう方がいましたが、私の場合は吐き気とかは一切なくて、戻したことは1度もなかったです。
シスプラチンはとにかく戻したり、食欲不振になったりするといって私も覚悟はしていたんですが、それがなかったので、やっぱり副作用を軽減させるんだなというのは感じました。

病院からの検査結果
検査結果もきれいにまとめられ、必要なことはメモに残されていました。 ご自身の手帳にもその日の記録が細かく記されていました。

理想の主治医との出会い

残念ながら、一番初めの主治医とは良い関係が築けませんでした。
でも、直腸がんの手術をしてくれた先生とは素晴らしい信頼関係を築けています。
この先生には感謝、感謝。
先生と話すと楽しいんですよ。
私が言うことはすぐに分かるし、先生が言わんとすることは私がピンとくるもんだから、話が先にどんどんいっちゃって、話していて本当に飽きない人。
横で記録を取っている看護師さんは毎回代わるんですが、みんな会話を聞いて笑っているんです。
とても楽しくて。
その気持ちを年賀状に書いたんですよ。
「先生には感謝しています。これ以上感謝の言葉もないです。」と。
そしたらすぐに返事をくれたんです。

その返事には私が一番望んでいた“これからも相談しながら”という言葉が書かれていました。
私が放射線の副作用の味覚障害で悩んでいる時もすぐに調べてくれて、漢方薬を提案してくれたり。
考えられる最悪の事態も全てクリアしてくださって退院も早くできたし、嬉しかった。

周りの人に支えられ、待ってくれている人のためにも必ず元気に

~発覚当初、3人の息子様に送られたメッセージを一部抜粋~

若い頃からタバコを2箱以上吸い、酒は好きなだけ飲んできた。
加えて、いろんなストレスを溜め込んできたので、むしろ癌にならない方がおかしい、と思った。

妻は異常な程の心配性で、かなりショックを受けている筈だが、私の前では一度も涙を見せたことはない。
時間を見つけては、ご本尊の前に座り、必死に題目を上げてくれている。

私は最後まで絶対に諦めない。
待っていてくれる愛する妻、子供達夫婦、孫、生徒たちのために、必ず元気になって帰ってくる。

昔からギターとフルートとサックスをしてきたので、ミュージックスクールをしています。
小学生から一番上は70代まで。
みんな応援してくれる感じで「頑張ってね。先生だったら大丈夫!」って励ましてくれました。
愛する妻、愛する生徒さんが待ってくれていると思って7ヶ月教室を休んだんです。
その時の生徒さんはみんな残ってくれました。

もう1つ言えば、自分のポリシーというか頑張らないといけないと思ったのが、一昨年の1月に退院して本当は3月に大腸の手術をする予定だったんですけど、4月に三男坊の結婚式があって。
今まで長男次男の結婚式では嫁さんと2人で演奏してきたんです。
なんとか頑張って結婚式で演奏をしたいと思って、2月末くらいからウォーキングを始めた。
やっぱりその頃は体力がすごく落ちているから、きつかったですね。

歩き始めて3月からアルトサックスの練習を始めたら息が続かない。
しんどい、しんどい。
うちの嫁さんがもともとピアノをプロでやっていたので、曲はピアノも綺麗なハナミズキを選んで、とにかく4月の結婚式に向けて頑張ろうと思って。
うちの親族のメンバーは私ががんの治療が終わって3ヵ月くらいしか経っていないのに頑張っているのを知っているから、みんな泣くわけですよ。
だけど、新婦の方は全然知らなくて、「何でみんな泣いているんだ?どうしたんだ?」という感じで。
私も演奏が終わった瞬間、はぁ、と。

最後に三男坊が感謝のスピーチをした時に、迷ったらしいけど私のことを話します、と。
「昨年の10月に父はがんが見つかって、ひょっとしたらもう二度と会えないかもしれないと思っていたけど、今日はこうやって元気に来てくれて、演奏もしてくれて嬉しかったです。」と。
それで、やっと向こうの親族の方たちが意味を理解された感じでした。

絶対演奏をしてやるんだというモチベーションがあったと思うんですね。
家族に対して、なんとなく感謝している気持ちはあるけど、こういう状況になったからこそ、その気持ちが強くなったというか、妻に対する感謝の気持ちであるとか、子ども達が私を慕ってくれて、すごく心配していろんなことを言ったりしたり。
一番感じたのは絆ですかね。
家族の絆もあったし、生徒さんとの絆。
レッスンをする時は一生懸命教えますので、それを受けてきてくれた生徒さんも私との信頼関係がちゃんとあったんだなとも感じました。
普通は感じないことでしょ。
自分が病気になって入院して大変な時に生徒さんが送ってくれるメッセージを読むとすごく勇気づけられるんです。
すごく嬉しかったです。
まだ70年くらいの人生なんですけど、決して間違ったものではなかったなと確信したような感じですかね。
自分が自然とやってきていることを自然体でいろんな人と接している中で、こんな風に僕のことを感じてきてくれたんだな、こういう風にリスペクトしてくれたんだなと分かった機会でもありましたね。

日常の中でそういうのは気付かないかもしれないけど、こんなに僕は慕われていたんだという感じ。
家族の絆も強くなったというのはありましたね。

かかりつけ医もビックリ

いつも行っている地元のかかりつけの病院の先生に1年ぶりに会ったら、「吉松さん、マスク取って。」と言われ、取ったら「全然変わっていない、1年前と!」と。
「いやいや、ほんと。想像していたのと全然違う。ほとんどの人が抗がん剤や放射線治療をやると食べられなくて、ボロボロに痩せて。」って。
体力もなくなっちゃって、多分痩せてよぼよぼになっていると思っていたそうです。
嫁も通っている病院だから、「様子はだいたい聞いていたけれど、そんなに元気な顔で来るとは思いもしなかった。」と。
体重が落ちなかったですもん。

この体験談を読まれている方へ

私の場合は興味を持ったら徹底して勉強する傾向があるんです。
今はスマホとかパソコンでなんでも調べられる時代なので、まず自分でいろんなケースを調べてみる。
自分で調べてみて、これだと思ったものに関して、そういうものを使ったことがある人に聞いてみる。
それも大事だと思います。
ただ、全ては信用できないというのもあると思うから、なんでも書いてあったらその通りだろうと思うのも危険だし、自分自身で納得できるまで勉強することは大事だと思います。
あらゆる方面から、多角的な面というか、俯瞰的な見方というか。
そういう感じが大事だと思います。

妄信はいかんと思う。
客観的に、冷静に。
私もがんになったのは初めてのことなんで、治療を受けるのも初めてでしょ。
当然、フコイダンを始めるなんて初めてのことだったわけだから、最後に頼れるのは自分しかない、と。
最初は本当に半信半疑。
だけど低分子化フコイダンの研究を始められた白畑先生のことは還元水の頃から知っていて、「あっ!」と思ったんです。
あの先生が研究したんだというのも低分子化フコイダンを採用してみようというきっかけになりました。
吉田先生が書籍に書かれているように“すべて決めるのは自分”だから、と思います。

自分の経験としては、抗がん剤治療と低分子化フコイダンを用いた統合医療は確実に効果があるということは実感した。
がん細胞が小さくなるということも体験したということですね。

取材を終えて

取材をさせていただいた前川と吉松様

吉松様の人を包み込むような穏やかな雰囲気と、明るいお人柄、そして奥様やご家族、周りの方に対する愛情がお話しの中であふれていました。
「最後まで絶対に諦めない。必ず元気になって帰ってくる。」とご家族に伝えられた通り、心身共に大変な治療をやり遂げられた貴重な体験をお聞かせいただき、心より感謝申し上げます。

医師が途中で「止めてもいい。」というほど、決して楽ではない治療ですが、その先には今も大切な方と笑顔溢れる日々を過ごされている吉松様のような未来があります。

この体験を通して、多くの方が治療に前向きになれたら、私たちもとても嬉しく思います。


※個人情報保護のため、仮名となります。
※効果は人によって異なります。全ての方に同様の効果が認められるとは限りません。

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